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ホルモン焼きなら経験ゼロでも成功できる。
光山氏に聞くホルモン焼き屋『わ』の経営術。
予約が取れないと有名な「肉山」オーナー光山氏の連載コラム 第1回 2020年06月25日 カテゴリ:コラム
執筆者:株式会社個人商店 代表取締役 光山 英明氏
手間がかかり技術が必要な店は初めての飲食店開業には向かない
僕は今、50歳。『わ』を起ち上げたのは2002年11月なので、31歳のときですね。大学時代、野球部の寮が吉祥寺にあって、行きつけの飲食店も多くありました。その頃から漠然と、いつか自分でも吉祥寺で店を持ちたいと思っていたんです。大学卒業後は、商売の勉強も兼ねて地元の大阪で卸酒屋に勤めました。そこで約10年働いて退職。じゃあ、店をやろうかと吉祥寺に戻ってきたわけです。当然、自分で飲食店を経営したこともなければ、バイトすらしたこともありません。ただ、店をやるにあたって、決めていたことが二つありました。
ひとつは、知人に頼らないこと。地元の大阪でやれば、先輩や後輩が来てくれるかもしれないけど、気を使いますよね。それに、常連がたむろするのもよくない。理想は、知らない人が客としてきて、客同士が知り合いになって関係が生まれる店です。今も変わらずにそう思ってますね。
もうひとつは、どんなに忙しくても、眉間に皺を寄せて働かないこと。よく見るのが、暇なときは「あかんわー」と嘆いているのに、忙しいときにはパニックになって態度が悪くなっている店。本来は、忙しいと嬉しくて笑顔になるはずでしょう。眉間に皺を寄せている大将がいる店には、行ったらあきません(笑)
ホルモン焼きを選んだのは、子どもの頃から食べてきた料理だから。美味しい、不味いの基準が自分のなかにあったんです。あとは、一人でも回せるから。だって、肉さえ準備すれば、最終調理は客がやってくれるので、人手がかからない。未経験者が飲食店経営でやったらあかんのは、手間がかかり技術が必要な店。例えば、餃子や焼き鳥です。皮包みも串打ちも技術がいるし、なにより作業が大変。ちなみに、僕は餃子も焼き鳥も大好きですよ。
ピンチはチャンス。誰も牛を食べないからこそ、安価でいい肉が手に入った
僕が『わ』をオープンしようと上京したのは7月のこと。2001年から始まったBSE(牛海綿状脳症)騒動の余波が残っていました。そんなときに牛のホルモン焼きなんて、誰もやろうと思わない。たまたま見つけた肉の問屋でも「今がどんなときか分かってる?」と言われましたよ。普通に考えれば逆風ですが、そのお陰で牛肉の値段も安いし、なにより質の良い肉を手に入れることができました。ある意味、ラッキーだった。
あとは、世の中の芋焼酎ブームも追い風になりました。これもたまたまなのですが、プレミアムな焼酎を定価で販売してくれる良い酒屋と出会うことができたんです。お陰で『わ』では、普通の店で飲めば1杯1000円以上するような焼酎を500円で出せました。それでも利益率は高かったですよ。実は、ブレークしたのもホルモン屋としてではなくて、焼酎の店として。当時の店名は『ホルモン酒場焼酎屋わ』でした。
肉の卸しも酒屋も、良い店をどうやって見つけたのかと聞かれますが、本当にたまたまです。ただ、良い店とのお付き合いを長続きさせる方法はあると思っています。
まず、無理な値下げを求めない。自分が卸酒屋で働いていたときに散々値切られたので、自分が買うときには値切らないと決めていました。そもそも、店に食べに来た客が「もっと安くしてくれ」といっても普通は応じないでしょう。それなのに、自分が同じことをお願いするのはおかしい。もうひとつは、金払いを良くする。例えば、1月末〆の請求書が2月2日に来たとしたら、その足で支払いに行きます。商売人は、支払いを先延ばししがちですが、それはしない。
値切らないのも支払いを急ぐのも、相手に好かれるための営業テクニックではありません。テクニックだと思ってやったらダメ。店名の『わ』は「輪」から取りました。これは、取引先もお客さんも自分たちも、みんなが輪になって幸せになれたらいいなと思ってつけた名前。あくまで、感謝の気持ちが大事なんです。
新規出店のPR活動は、店先に設置したQ&Aから始まった
肉の卸しと酒屋を見つけて、店舗も決まり、あとはオープンするだけ。ただ、新規出店だったので、知名度はゼロです。そこで、店舗の内装工事中は、店の前に木の板を立てかけて、そこに日記を貼り付けていました。自己紹介、業態説明、そして、その日にあったことを書いてましたね。すると、立ち止まって見てくれる人がいる。この人たちとコミュニケーションを取るにはどうすればいいか考えて、ボールペンを下げて質問を書き込めるようにしました。要は、Q&Aコーナーです。
最初だけは、自分がサクラになって質問と答えを書きました。今でもよく覚えています。「焼酎の魔王は置いていますか」「はい、もちろんです」。ここから質問が多くなった。オープン前に上手いこと、店のアピールができました。このエピソードを話すと「当時からTwitterみたいなことをやっていたんですね」と言われますが、オープンまで暇だからやっただけです(笑)。
オープン後は、口コミで評判が広がりました。当時は「mixi」。僕が読んでも「この店、メチャメチャ行きたくなるな」と思うような文章を投稿してくれる常連がいて、それを読んで来店してくれるお客さんも多かったですね。
最初は5人でもいい。コアなファンがお客さんを呼んでくれる
『わ』の成功の秘訣? なんでしょうね。ホルモン焼は飲食初心者でもやりやすいとか、焼酎ブームのなかプレミアム焼酎を安くで出せたとか、いい取引先と出会えたとか、色々あると思います。そのなかのひとつに、できるだけコアな客をつかんだ、というのがあるんじゃないかな。この考え方は、肉山も同じです。
例えば20席あったとしたら、いきなり満席を目指すのではなく、まずは回せる目標を5人に設定する。お客さんが5人いるときに、今から2人入れますかと聞かれても断って、その5人に集中します。そこでしっかりとしたサービスができる土台を固めるんです。しっかりとしたサービスができれば、その5人コアなファンになって口コミで評判を広げてくれる。次は、7人で回せるように、その次は9人……、そして20人を目指すんです。
20人のお客様を回せるようになったら、今度は回転を目指します。肉山の場合は、現状で3回転。それでも足りなくて、来たいとおしゃって頂けるお客様が多いので、予約が取りにくくなっている状態です。
僕のやり方が良かったかどうかはわかりません。ただ、ド素人が2002年7月15日にひとり暮らしをスタートして、4カ月後の11月15日には『わ』をオープンさせることができた。参考にできるところがあればいいですけどね。
株式会社個人商店
代表取締役 光山 英明氏
1970年、大阪市生野区生まれ。上宮高校野球部から中央大学野球部。中央大学時代は寮のある吉祥寺周辺が生活の拠点となる。大学卒業後、大阪で卸酒屋に就職。約10年勤めた後に脱サラして上京。2002年11月、吉祥寺で『ホルモン酒場焼酎屋わ』をオープンする。2012年11月には赤身焼肉の『肉山』をオープン。2015年からは、フランチャイズ展開やプロデュース、出資などを初めて、現在までに約60店舗を手掛ける。『肉山』は予約が取れない有名店へと成長、手掛けた60店舗もほぼ全てが黒字となるなど、その経営手腕には定評がある。
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